待ちに待った書類です!
宮城県議選の告示からちょうど1カ月となる11月13日。選管から「供託金の返還通知」が届きました。もはや、ほぼ誰も関心が無いとは思いますが、私にとって法務局に預けた60万円が戻るかどうかは切実な問題です。幸い2088票のご賛同をいただいたおかげで供託金没収点を越えることができましたが、実際に手元にお金が戻ってくるまでは何が起きるかわかりません。しかしこのたび、めでたく異議申し立て期間が終了し、選挙結果が確定しましたので、無事に返還通知をいただくことができました。ありがとうございます。
ところがです。喜んだのも束の間、通知書をよく読むと「同封した受領書を必ず持参」せよと書いてあるのですが、届いた封筒にはそれらしき書類が入っていません。ひょっとして、床に落ちたのだろうかと部屋の中を探してみましたが、どこにもありませんでした。…もしや、このまま受領書が出てこなければ、私の供託金はどうなってしまうのでしょう。私は不安になり、すぐに選管に電話しようと思いましたが深夜だったのであきらめました。そして翌14日朝、さっそく選管に電話してみると、なんと先方の記載ミスだと言うのです。受領書は選管に用意してあるらしく、「どうもすみません」と謝られました。…んっもう!、とは思いましたが、供託金と私をつなぐ運命の糸は切れていなかったので安心しました。
供託正本を受け取りに選管へ
翌日は仕事の都合で動けなかったので、選管には翌々日の16日に出向きました。そこで晴れて「供託金没収ではない」とする証明書と、立候補届けのときに提出した供託正本を受け取ると、今度はその足で法務局へと向かいました。そうなのです、供託金を返してくれるのは選管ではなく、現金を預けた法務局なのです。これがもし、仕事の打ち合わせだったりしたら面倒に思うかもしれませんが、まさに現金なもので、このときは県庁から法務局までの移動など苦にもなりませんでした。まあ、そもそも、それほど離れた場所でもないのですが。
法務局では、供託金払い戻しの請求用紙を記入します。そして、選管から渡された書類を添えて窓口に提出すると、払い戻しの方法を「振り込みにするか」「小切手にするか」二択を迫られます。受付の方の説明では、振り込みならすぐに手続きできるが、ただし入金まで約10日間ぐらいかかるとのこと。一方、小切手なら発行に小一時間ほど待たなくてはならないが、この場ですぐに渡せるとのこと。ただ、それは日本銀行仙台支店でのみ現金化できる小切手なので、わざわざ窓口まで行かなくてはならず、おまけに窓口は15時で閉まるので、この時点で今日は間に合わない、とも言われました。
話し方の雰囲気から、明らかに振り込みを勧めているのだろうと感じましたが、ここで私の好奇心が、ムクムクと湧き上がってしまいました。「日本銀行渡しの小切手を見てみたい」「日本銀行の窓口に行ってみたい」という俗な好奇心です。そこで私は「小切手でお願いします」と告げると、受付の方に「一時間かかりますよ」と念押しされました。とはいえ、この気持ちはもう抑えられません。もちろん待ちます、お待ちしますと答えて小切手が発行されるのをわくわくしながら待ちました。
ついに小切手を手に入れました!
こうしてついに手に入れた供託金返還分の小切手。思えばこの1カ月、本当に不安でなりませんでした。世間の皆さんは、そんなに騒ぐ金額かよと思うかもしれませんが、私にとっては大金です。実質的には「自分のお金が戻ってきただけ」とも言えますが、私にはむしろ供託金没収点を越える票をいただけたことが奇跡であり、戻ってこないはずのお金がまさか戻ってきてくれた!という感覚です。ですから、心から感謝しないわけにはいかないのです。
もし万が一、得票数が届いていなければ、供託金どころかポスター制作費まで自己負担になっていました。仮に政策ビラを作ったり、選挙カーなどを使ったりして供託金が没収だったら、それらもすべて自己負担になるのでダメージは深刻だったでしょう。さすがに私はそこまでの自信も度胸も無かったので、最初からポスター以外は作るつもりがありませんでした。また、たとえ公費であっても選挙にお金をかけるべきではないという考えにはこだわっていますので、いずれにしても選挙運動は小規模に収めていたと思います。
じつは正直なところ選挙後は「燃え尽き症候群」と言うのでしょうか、本来の仕事を引き受けてもアイデアが思い浮かばず、打ち合わせに出かけるのも億劫になっていました。そうこうするうちに体調を崩し、三日間ほど寝込んだりもしました。白髪を染めるのも面倒くさくなって、気づけばご覧のような老人の姿に…。「平気、平気」と顔では笑っていても、心の中は白く燃え尽きた矢吹ジョーになっていたのです。
…でも、人間って嫌な生き物ですね。小切手を手にしたとたん、ハッピーオーラが舞い降りてきちゃって、速攻、缶ビールを買って、ひとり祝杯を上げてしまいました。
人生初の日本銀行
そしてついにきのう17日、そぼ降る雨の中、私は初めて日本銀行仙台支店の窓口に出かけたのです。じつは今まで、日銀支店長の記者会見や短観発表などで建物に入ったことはあるのですが、取材のときはいつも裏口(北口)から入るよう指示されるので、窓口がどうなっているのか見たことがなかったのです。しかし今回、私は正々堂々「お客さん」です。エントランスで警備員さんに「ご用件は」と呼び止められても、ひるむ必要がありません。
案内されるまま窓口に通じる扉を開くと、そこは想像以上に人の気配がない、シーンとした静かな空間でした。壁に沿って待合用のソファが申し訳程度にあるものの、雑誌や新聞が置いてあったり、テレビやモニターが映し出されたりしているような、サービスやエンタメは用意されていません。置いてあるのはせいぜい、制度を紹介したパンフレットぐらいで、銀行の窓口というよりも昔の役場のような、あるいは切符売り場のような雰囲気です。長いカウンターには誰もおらず、客は私だけ。それがたまたまなのか、いつもそうなのかはわかりませんが、その部屋には職員の姿はほとんどありませんでした。
受付の女性に「カクカク、シカジカ…」と説明すると、持参した小切手に裏書きするようペンを渡されました。そうなのです、日銀渡しの小切手であっても一般の小切手と何ら手続きは変わらず、むしろ伝票を書く手間がなかったので楽なくらいでした。そして、古びた食堂のようなプラスチック製の札を渡され5分ほど待っていると、番号が呼ばれて、現金皿に載せられた裸の一万円札の束が目の前に置かれました。「お確かめください」と言われたので、しっかり数え直し、間違いなく60枚あることを確認して受け取りました。袋はもらえなかったので、カバンのポケットにそのまま入れて帰ってきました。
どうする金のブレスレッド⁉
ところで、もしかすると大平は、供託金を工面するため売却した「金ちゃん」(金のブレスレッド)を買い戻すのだろうか?と思われる方もいるかもしれません。しかし、これについては完全にNOです。
なぜならまず、売却した時点で私は「溶かす」ことに同意しており、現物がこの世に存在しないのです。そして、仮に同一仕様の商品が売っていたとしても、売却価格と購入価格に大きな開きがあるため、戻ってきた供託金ではとても買えません。さらに、これはちょっと頭にくるのですが、私が売却した翌日から金価格が急騰し、もはや手の届かないものになってしまっていたのです。ですから買い戻さないというよりも、買い戻せないというのが実情です。
ちなみに、売却ではなく質入れにすれば良かったかな、とは一瞬だけ思いました。しかし質入れの場合は査定金額と利息の関係でさらに不利になり、万が一、供託金が戻ってこなかった場合のダメージが、拡大する恐れがあったのであきらめました。
でも何より一番の理由は、「お前はもう金のアクセサリーを身に着けるような年頃ではないぞ」と、もう一人の自分がささやいたからです。なので今後は自然に抗わず、ひっそりと枯れていきたいものですが…煩悩がなあああっ。やだやだ。それではまた!